絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

学生生活部長1 No.98

洋画のM先生

 芸大受験の半ばから終わりにかけて、母から電話が来ていた。

その内容というのも、前回に母とした電話での喧嘩が関係している。

 その喧嘩の最後、僕は携帯電話を床に叩きつけて壊した為、新しい機種を購入する迄は、母から僕に連絡をとることは出来なかった。

 

 その喧嘩の後に母は大学事務へ連絡し、大学内で起こっていることを調べて報告しなさい、という主張をしていた。

 それから大学事務がやろうとしていたことは、大学の教員内で『学生生活部長』という役職についている洋画のM先生と僕とで会話をさせ、そこで状況を把握しようとしていた。

 僕は、学生生活部長というものがどういうものかは解らないが。

 説明を聞く限りでは、生徒が大学生活で困ったり困りそうなことに、教員を代表して対処する立場にある存在だそうだ。

 状況を把握するのに、日本画でのことなのに日本画の教員から話を聞くということをしなかったのは、僕の件は端から見てもおかしなことが起こっていることを、大学事務も学生生活部長である洋画のM先生もそれとなく感じ取っていたからだ。

 その時の僕は、大学のレポートや単位認定の為の試験、提出の遅れた絵の課題の制作、そして芸大の再受験も行っていた。

 大学の掲示板で生徒(僕)の呼び出しを行っていたとの話ではあるけれど、僕は毎日切羽詰まった状態で動いていたので、そこへ目を向けることもせず、気付くことはなかった。

 それから暫くして、僕は携帯電話を新調することで、母から僕へ連絡をとることが出来た。

 母からは、洋画のM先生に連絡して話をしなさいと言われる。

 この時の僕は、学年末で進級の為のレポートや試験や提出物で忙しく、その上で芸大受験もしていた。

 1日単位でも余裕を持てず、洋画のM先生と会話することなど考えられなかった。

 だから、母(大学事務)の指示には従えないことを伝えて、その話は断った。

 母の心配ごととしては、僕が大学を勝手に辞めてしまうことや、親子の縁を切ってしまうのではないか、という部分であった。

 それに対しても、僕は大学を辞めないし、縁を切ることもしないと伝えた。

 そんな僕の話に、母は納得しない様子もあった。

2度目の受験後

 2度目の芸大受験を終えて、この時に在籍している美術大学は続けることにした。

 有名大学へ入学する権利は貰えたけれど、この時にいる美術大学はあと1年で卒業となる。

 亡くなった平田先生から、芸大受験するよりも前に「辞めないで続けた方がいい」と言われていたことや、最後の一年でのやり取りで、教員達と何かしらで解り合える可能性にかけようと考えたこと等が、主な考えだった。

 この件に限らず、細かな考えを書いていこうとすると、もっと色々な事柄は出てくる。

 僕の文章能力の問題もあって、そういうものをこれ以上書いていくのも難しいので、この辺りの話はこれくらいでまとめて区切りとしておく。

 

 もし、この美術大学を辞めて他の大学へ入学していたならば、僕はこの美術大学を相手に裁判を起こしていたと思う。

 裁判の勝手は何も解らないけれど、当時の僕はそういう考えを持っていたので、そうなった可能性は高かったと思う。

 

 芸大入試や美大への課題や提出物のことやらが終わった後、学生生活部長で洋画教員のM先生と話をすることを考えた。

 まず僕は、大学内でM先生を探したのだが、会うことはできずにいた。
 それから洋画のある生徒に聞いた話では、M先生はたまにしか大学に出てこない先生だと知った。

 その後、母から教わったM先生の連絡先を基に、M先生の自宅へ電話をした。

 電話が繋がると、僕は電話先のM先生へ、本来は数ヵ月前にやる筈だった話をこれからしたいと持ち掛けた。

 そこでM先生は、大学ではなくM先生のアトリエでなら話を聞くといってきた。

 それから日時を指定され、M先生のアトリエの場所や電車の乗り継ぎの説明も受けた。

 M先生のことでも、何かと疑問に思いながらも「こういうものなのかな?」と考えようともした。

 そういう疑問関係は、後になってみないと把握できないことが多い。

 若さからの、経験不足や知識の乏しさというのもある。

 その辺りも、これからの話で書いていければよいのだが、書き漏れてしまうかもしれない。