アメーバブログでこの話を書いていた頃は、僕はまだカラオケ店で働いている時だった。
アメーバブログで書き綴っていた職場の話も、前回に書いた辺りの内容で区切り、ブログの終りとしていた。
このはてなブログでは、もう少し話を追加してから、その後に始まる訴訟のことにも触れていこうと思っている。
前回では、店のメニュー変更とカラオケ機の買い換えの話まで書いてきた。
メニュー変更によって、調理の作業性を向上させることができた。
この頃にいたアルバイト達も仕事を覚え、人手不足のままでも、僕の抱える仕事は少なくなっていった。
そのことで、閉店後のサービス残業の時間も大幅に減っていった。
社長のそもそもの意向は、
『必要な人員より少し多くなってもいいから、余裕を以て店をまわしなさい』
というものだった。
それを許さないのがS本部長やS課長であり、僕はS本部長へ何度も『人を増やしてください』と求め、その都度、何度も怒らせて怒鳴られてきた。
それでも諦めずに求め、少しずつカラオケ店のアルバイトは増えていった。
求人をかける為の経費の件で責められた時には、自腹を切って求人をかけることもした。
その結果として、週に何度かは数時間単位で休憩をとれる状態にもなっていった。
休日に関しては。
社長がたまに、僕の休んでいないことに気付き、S本部長に『高木を休ませろ』という指示を出す。
すると、S本部長はMをカラオケ店へ行くように手配し、休日という名目の休憩がとれる様になる(稀に、休める日もあった)。
しかし、パチンコ店の従業員トラブルや、何らかのこじつけにより、少し期間が過ぎればMによる休日対応はなくなっていく。
僕としては、
『とれるかとれないかわからない休日を宛にする気持ちが面倒で、そんな曖昧な休みなら、最初からない方が気持ちは楽だ』
と語り、実際にもそう思っていた。
カラオケ店のアルバイト従業員達のことを、ある程度の整理をつけた後にこそ、僕は休みらしい休みをとる、という考えでいた。
それでも、この時期を迎える迄に、僕は何度か身体を壊していて、意識して仕事をセーブしたり、休憩より仕事を進めたくても、休憩をとれる時にはとることとした。
5年くらい、身体を壊すのを避ける為、無理に絵を描こうとするのを止めていた。
たまにの休憩では寝たりもしていたけれど、自分の本来やるべきことを我慢し、何度か身体も壊し、寝るか仕事をしているかの毎日は気分的に苦しく…結果的に、休憩の時はかなりの割合でパチンコ店へ遊びにいく習慣となった。
パチンコをしていたのは、いつも奴隷のように扱われ働かされている気分のなか、数時間は遊んだという状況から、自分の不貞腐れた気持ちに説得していた。
そんな日々を過ごしているうちに、ふと、あることに気付く。
ずっと整えようと努力してきたカラオケ店の体制は、ある程度整ってきていた。
例えば、アルバイトの出勤している時に、僕が黙って事務所に居たとしても、ある程度の雑務は、アルバイトが自身等で判断して適切にやってくれる。
M(元)店長が退職する前、社長は僕に対して、
『店が暇なときは、アルバイトにホールをやらせて、お前(僕)は事務所で本を読んでいたらいい』
『勤務時間内でも、絵を描いていい』
という言葉をかけて貰っていた。
それまでのカラオケ店では、僕にそんな余裕を持たせないようにと、S本部長とS課長とで人件費を極端な迄に削減してきた。
S課長の指示により、アルバイト事務員や清掃員達も僕の動向を監視し、(実際には働いていても)怠けているように見えたならば、まるで僕の上司であるかの様に、批判や暴言を投げ掛け、そのことでS課長からも理不尽な叱られ方をする流れにあった。
そんな問題さえも、この頃には既にクリアできていたことに気付く。
そうして、また色々と考え始める。
僕はずっと退職できる日を待っているのだが、会社や上司達は、僕をいつまでも奴隷のように使い続ける意思を持っている。
会社の危機的状態にあるから、僕の退職は保留にされ、幹部達は危機への対処に全力で取り組んでいる筈だった。
その危機はいつまでも解消できず、もう5年くらい経過している。
カラオケ店も、売上を伸ばすためにやれることは幾つも見えているのに、S本部長やS課長の個人的な都合や意地の為、僕には何もやらせずに現状維持ばかりさせようとする。
僕の仕事によって、カラオケ店が良くならない様、権限を与えず、改善提案も一切許可されず、非効率な仕事の維持ばかりを押し付けてしまう。
それならば、僕も強引に成果を出して、S本部長やS課長や、その他の幹部の作る体制や立場を潰していくべきではないか、という考えが湧いてくる。
そうする為には、もう退職への考えも捨てるべきなのかもしれない。
僕が成果を上げていき、上司達の立場を潰し追い詰めていくのに、十年くらいかかるかかるかもしれない…その為に、これからの人生で、絵を描くことを諦めるのか?
S専務やS本部長やS課長が僕の人生をメチャクチャにして平気で笑っている様に、僕からも彼等の人生をメチャクチャにして、立場をとって変わる覚悟を持てるだろうか?
他人の人生をメチャクチャにしても平気で居る為に、今の自分の持っている良心やモラルを捨てられるだろうか?
主には、そんなことでいつも悩んでいた。
もっと平和的に、僕が成果を出しながら上司達と共存できる未来も、考えてはいた。
そういう未来や状況を作る前提としては、僕が絵を描いたり、人並みの生活を送れる職場環境を自分で作り維持する必要もある。
労働基準法や警察を介入させるようなやり方では、平和や共存の方向にも向かわない。
そんな迷いのなかで、僕はこのブログを書き始め、自分の過去の人生を思い起こした。
その上で、これから先の人生を考えようとしていた。
同時に、社長が僕へ許可していた内容通りに、勤務時間中に事務所で本を読んだり、絵を描こうともした。
でもこれ迄は、アルバイト達にはきちんと働いて貰う為に、まずは僕がしっかり働いて、その姿を見せる方針でずっとやってきた。
その方針を急に変え、社長に許可されていたことであっても、勤務時間中に絵を描き、遊んでいるかのように見える状況を作ろうとは考えられなかった。
この件に関しては、時間の経過で考え方も変わった。
パチンコ店やカラオケ店でも、共通して、1時間に5分の休憩をとる決まりがあった。
特にカラオケ店では、週末等で何時間も休憩をとれない場面があり、その数時間分の休憩をまとめてとる流れもあった。
僕の場合は、忙しくてもアルバイト達には休憩をとらせようと努力してきたけれど、僕個人はパチンコ店の時から、休憩を殆どとってこなかった(とる余裕もなかった)。
そういう休憩時間や、タイムカード上での数時間の休憩時間を利用し、出勤しているアルバイト達にも説明した上で、何度か絵を描くことにした。
それは絵を描くこと自体が目的ではなくて、今後の僕の働き方や生活のあり方を模索する意味合いのものだった。
当時は、友人の勧めでFacebookも始めていて、休憩時間中の絵やパチンコの写真をとり、何度かFacebookに投稿していた。
そのFacebookの投稿も、時々は会社の上司(S専務)に見られて監視されていたので、『サボっていたのではないか』と追求されても説明できる様に、色んな配慮はしていた。
(この辺りの話は、後々の訴訟で、会社から責められる要因になった。)
これから先の人生のことで迷い、試しに幾つかのことも試してはみたけれど。
上司達の立場や面子や人生を潰し、立場をとって変わろうという考えは持てなかった。
僕は要領の良い人間ではないので、勤務時間中に絵を描きながら、仕事できちんと成果も出すという器用なことは出来ない、という結論にも行き着いた。
自分の人生経験の為、いま出来る仕事に集中して、カラオケ店の売上を伸ばせそうに思えていることが、実際に出来るのか試してみることにした。
それは、今でなくては出来ない挑戦であり、退職や絵は、その後のことと考えた。
売上を伸ばす為に考えていたことを、少し具体的に話す。
僕のいるカラオケ店は、人手不足で手が回らない状態でのトラブルを、何度も起こしてきた(この頃は大分少なくなったけれど)。
そのことで顧客とトラブルになると、それまで継続して来ていた顧客が来なくなる。
一部の顧客は『お店が忙しそうだから、料理を注文してもなかなか来ないだろう』と、注文するのを控えたりもする。
だから、売上を伸ばすための第一歩として、平日や週末・祝祭日でも、必要最低限の人員をそれなりに育った状態で確保して、それ以上の状態を維持するのを、最初の通過点とした。
育った状態での人員が確保された以降は、例えばチラシやクーポン券等を利用して、一時的にでも多くの顧客を店に来て貰う場面を作る。
( チラシやクーポン券等は、僕が自腹を切ってでもやるつもりでいた。)
その一時的であっても、多く来た顧客対応をトラブルなくすることで、その後も継続して来てくれる顧客が現れたり、来なくなった顧客にまた来て貰う機会を作れると考えている。
特に毎年4月前後には、他の地域からこの地域へ引っ越してくる人も多い。
そういう人達に、良いお店と認識して貰うことこそ大切で、そこで人手不足による不手際をしてしまうと、せっかく店に来て貰っても次はない。
一番大事なのは、人件費の削減などのよって、必要な人員を削らないことと、それを継続していくことである。
普通の会社やお店であれば、これは当たり前のことだと思う。
でも、この会社はそれが当たり前ではなく、この人件費の削減を、この会社の幹部達はいつも必ず強要してしまう。
店舗に足を運ばす、現場のことも殆ど把握していない者が、何かの都合や思い付きで店のやり方を大きく変えてしまうことにも、僕は抵抗していく必要がある。
この考えは、僕から社長へ直接話した。
S本部長の判断に頼らずに求人をかけ、人件費の拡大や人員を増やす許可を貰い、実際にその人員を増やして教育も始めていった。