絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

絵柄と破墨 No.86

 今回の話の流れとしては、複数の絵柄を持つことについての話を語り、それから破墨(はぼく)という技法を学ぼうとしたことを語る。

 実際の処、破墨を学ぶのは中途半端に終わったのだけれど、その破墨をやる過程がK先生(女子)との会話の切っ掛けとなる。

 そういう流れで、書き綴っていくつもりでいる。

 

破墨

『破墨』というのは、紙に塗った淡い墨の濃淡の上に濃い墨の濃淡を描き、立体感を持たせた感じの絵を描く技法だ。 

 日本画では殆んどの場合、麻紙や絵絹等に滲み止めの液を塗って、紙を加工してから描くことになる。

 でも破墨の場合には、滲み止めの加工をしないで描いている制作の過程もあった。

 その辺りは、使う紙の兼ね合いもあるのだろう。

 僕自身も何度か破墨らしきものに挑戦してきたのだが、模写ならそれらしき描き方はできたのだが、自分なりに構想して描くものに対しては、上手く絵にする事は出来ずにいた。

 破墨で有名な画家をあげれば、まず雪舟が出てくるのではないだろうか。

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雪舟 『破墨山水図』

破墨山水 - Wikipedia

 この破墨を、僕は大学2年生の自由課題でやりたいと考えていたのだが、課題についてのS先生とのよくわからないやりとりやトラブルから、仕方ないと諦めていた。

 それを3年生になってから、担当教員であるA先生(男子)と話をした上で、許可を得られたならやろうと考えていた。

 でも、大学の3年生になっても、やはり僕は、教員達から絵の批評や下図相談等の対応は(まともには)してもらえない、という認識を持つ。

 担当教員であるA先生(男子)は、僕と顔を合わせることさえして貰えない。

 そして、2年生の担当教員であるS先生が、1年生の頃から3年生になったこの時期までも、何かと指示や命令を下し続けてくる。

 僕にしてみれば、そのS先生はもう担当教員ではなく、言っていることも疑わしいことばかりで、出来ることなら会話もしたくない。

 S先生自身の意図や真意まではわからないけれど。

 僕の視点からは、S先生を中心にした何人かの教員達で行ってきた指導内容が、一時期からは間違いだらけであったことをS先生自身でも認識している。

 でもそれを必死に嘘で誤魔化し、教員間でも不利にならないようにと動き回っているのが、この場面での状況だと思っている。

 

 そんなS先生の考え方や、生徒に描かせようとする絵の傾向からは、僕のやろうとしている破墨は許可しないだろう。

 だから、下図相談でA先生(男子)を訪ねても相手にされなかったので、僕は勝手に作業を進めていく。

 そのことで、また新しいトラブルになるかもしれないが、それはトラブルになってから考えることとした。

 

 その破墨よりも前に、絵柄という部分でも、誤解やら考え方の違いなどが絡んでもいた。

 

絵柄

 絵柄に関しては、古くから複数の絵柄を持つことを悪く言われる場面もある。

 僕の在籍していた美術大学の教員達も、そういった考え方を持っていたし、生徒に対しても、絵柄を統一するように語っていた場面も幾つか見てきた。

 僕に対しても、複数の教員達からそのように語ってきていた。

 それに反発する考えではないのだが、僕は絵柄を複数持ちたいという考えを、中学生くらいの頃からずっと持っている。

 もう少し言うと。

 絵柄というよりも、そういう絵柄という考えなどに左右されず、色々と描きたいと考えている。

 でも結局は、自分の力不足の問題から、描ける幅や種類の様なものは限られてくる。

 その力不足の問題から、僕はどうにか出来ないかと考え、兎に角、色々とやろうとしていた。

 そのひとつが、破墨でもあった。

 

 先に『中学生くらいの頃』と述べているけれど。

 その頃に何があったかといえば、天野喜孝というイラストレーターの影響があった。

 名前で言っても判らないかも知れないが、僕の同世代の多くの人は、絵を見れば「あ~この絵の人!」と思うだろう。

 例えば、グイン・サーガという小説の挿絵を、途中から描き始めた人物。

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 グイン・サーガという小説は、僕が小学生の頃に話題になっていた。

 それから物語はずっと続き、ここ何年か前に作者は亡くなったが、まだ物語は終わっていなかった。

グイン・サーガ1 豹頭の仮面

グイン・サーガ1 豹頭の仮面

 

 今では、作者とは別の人が続きを書いて、完結させようとしている話を耳にする。

 

 グイン・サーガの絵と、ファミリーコンピュータで出ていたゲームのファイナルファンタジーの絵は、同じ人だというのはみんな直ぐにわかったと思う。

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ファイナルファンタジー 2 攻略/FF2 - Final Fantasy 2 攻略:ゲーム攻略メモ

 そこから、テレビアニメのタイムボカンシリーズみなしごハッチまで、天野喜孝が描いていたことを、ある雑誌で語られていた。

 そのことに、当時は僕だけではなく多くの人が驚いていた。

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想像を超えたファイナルファンタジーの世界を体感!|ウォーカープラス

 この話の元になっている雑誌名は忘れたが(ドラゴンマガジンだったかな?)。

 天野喜孝は商業美術の業界に入るとき、「どの絵があなたの絵柄なのですか?」という質問と「絵柄をひとつに絞ったほうがいい」という言葉を色々な会社でかけられ、全てが自分の大切な絵柄であって、その受け答えに困っていたと語っていた。

 

 僕がこれまでに接してきた人達のなかには、芸術とアニメや漫画は別物であると語り、それ等を同時に好む行為を嫌がる人はいる。

 でも僕という存在は、日本画を学びながら、漫画やアニメも好きなのだ。

 僕はただ絵が好きで、芸術やアートのなかから絵を選んで学んだ訳ではない。

 日本画が上手くいかないから洋画や彫刻や商業美術へ移行することはあっても、彫刻とか現代アートの様な分野に向かうような考え方は持たないだろう。

 絵をより深く学ぶ過程で、彫刻や広く芸術に関する本を読んだり学んだりすることはあるので、そういう分野を否定している訳ではない。

 

 僕はやはり絵が好きで、古い日本画に感化はされたけれど、洋画も漫画もアニメもゲームも好きだ。

 それ等を悪く見られようが、僕の心からは追い出せない好みや事実だったりする。

 

日本画画家の絵柄

 僕が好んだ画家の竹内栖鳳も、自分の絵柄を固定はせず、色んなものを描こうとしてきた。

 そのことで、若い頃には何かと責められたという話もある。

 竹内棲鳳は、画家として作品発表したばかりのころ、日向ぼっこをしている猫の絵を発表した。

 その絵は震災で失われ、今では写真等の記録さえも残っていないので、画像やリンクを貼ることも出来ない。

  日向ぼっこをしている猫は、色んな流派の技法を用いて描き、そのことで様々な処で責められた。

 そういう時代でもあった。

 日本画の公募展で、複数の流派が入り交じることは稀で。

 その場合でも、審査員等はその流派ごとに用意しなければならない。

 だから、竹内栖鳳が複数の流派の技を一枚の絵に描き込んだことで「お前はどこの流派なんだ」という責めをうけた。

 それに対して「私は鵺(ぬえ)派だ」等と返したりで、何かとトラブルになっていた。

 そんなことにもめげず、竹内棲鳳は色んな流派の絵を模写して学ぶ。

 その行為に対して、師匠から「また摸写ばかかりしている!」「お前は円山派の域を出てしまっている!」と叱られ、何度も破門を言い渡されていた。

 それなのに、少し時間が経過すると、その破門は取り消されてうまく関係を修復していた。

 竹内栖鳳の人間関係の修復に関しては、僕には真似できない事だけど。

 絵への考え方に関しては、共感できそうな部分は多い。

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竹内栖鳳富士川大勝図』

『富士川大勝図』 竹内栖鳳 | ネット美術館「アートまとめん」

 竹内栖鳳は、意欲的に色んな絵を描いてきた。

 一枚ずつで絵をみて、描いた題材や流派的な技巧、そういったものから考えれば、その色々な絵は、違った絵柄と考えたのかもしれない。

 でも今の時代に、竹内栖鳳の作品をまとめて見てみると、どれも竹内栖鳳らしい感じを見てとれる。

 僕なりの考えだけれども。

 大学などで学んでいる過程でなら、絵柄なんか意識せず、色々と描きたければ描けばよいのだと思う。

 数を描いていれば、そのなかからその人らしい感じというのは、自然に出てくるものであり、絵柄的な意識なんかしなくてもよいのではないか。

 そういうのは誰かが指示するものではなくて、それぞれが勝手に考えて、自分なりの絵はこうだと結論付けていくものではないだろうか。

 

 2年生の頃に何度かスケッチブックに模写していたもので、『おぼろ月』という絵がある。

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竹内栖鳳『おぼろ月』

竹内栖鳳展 5.前期 第4章 @東京国立近代美術館 : Art & Bell by Tora

 この『おぼろ月』も竹内栖鳳の絵で、使っている紙は少し特殊なものだった。

 少し特殊な紙というのは、竹内栖鳳の要望によって作られた紙で『栖鳳紙』という名前の紙である。
 この栖鳳紙の登場以前では、竹内栖鳳は中国の書画用の『画仙紙』という紙を取り寄せていたという。
 そして、その『画仙紙』を使い、古書画の世界では有名な禅僧の『雪舟』が得意とする『破墨』といわれる描き方を研究していた。

 そういう過程を経て描かれたのが、この『おぼろ月』だった。

 

 上手くはやれないだろうが、自分の勉強のためにはやりたい。

 そう考えて、僕も画仙紙を購入して作業を進めていった。

 そうは思いながら、過去に掛けられてきた教員たちの言葉から迷ったりもした。

2年生の裸婦の課題の時。

 S先生は僕に対してこう言っていた。
「上手くいかなかった作品を提出してもらっては困る。上手くいく描き方で描き、上手くいったものを提出しなさい」
 その言葉に従うのであれば、僕は『破墨』といった、上手くいくかいかないかわからないことを行うべきではない。

 僕は1年生の頃から、上手くいかなったものや、制作の過程が他者と違っていると、教員達からは「抽象画をやっている!」と決めつけられて批判されてきた。

 僕のなかで『破墨』をやることへの否定的な要因はこの件となる。

 しかし、今更S先生に掛けられてきた言葉の数々を大切にしようとは思わない。

 いま僕が学ぼうとしている技法は、何となく本で読んだり聞いたりしただけの知識で、殆どの者がすぐにやれてしまうものではない。
 数え切れないほど失敗を繰り返し、苦労して身に付けてこその技や腕を求めていた。

 

 これまでに延々と誤解を受けて、批判や低評価ばかりを受けてきた僕であるのだから。

 これから始める課題制作で、誤解や批判や低評価を受けたのだとしても、これ迄と同じことだ。

 それならば、少しでも自分の経験やプラスになることをして、教員達からも嫌われようと考えた。