絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

割田さんと呼んだ猫 No.78

割田さんという仔猫

 新学期になって近所では仔猫と知り合い、その子の名前は『割田』と名付けた。

 名前を呼ぶときは呼び捨てではなく『割田さん』と呼んだ。

 美大生の頃はラジオをよく聞いていて、あるラジオ番組で知った『割田康彦』という音楽家の名字を、冗談も含めながら仔猫の名前にしたものだった。

 

 仔猫の割田さんはとにかく元気だった。

 あっという間に、僕の住まいは割田さんにバレてしまい、よく住まいドアの前で、割田さんは僕を待ち伏せする。

 朝、学校へ行くために玄関のドアを開けた時、割田さんはドアの向こうから勢いよく飛び込んできて、僕の膝辺りに抱きついてくる。
 最初はとても驚いたが、何度かやられてその行為を知った後は、ゆっくりと少しだけドアを開ける。
 すると、ドアの少しの隙間から割田さんは手を入れてきて、何かをかき出そうと手を動かす。

 僕はその割田さんの手を掴むと、割田さんは驚いて、ドアの向こうで跳び跳ねる。

 割田さんのその行為が面白くても可愛くて、朝だけは毎日笑うようになった。

 こんな風に楽しくて、普通に笑ったり遊んだりしたのは、いつ振りだろうか。

 毎日、大学の講義には出席していたけれど、数週間やひと月という単位で、誰とも会話することもなく、言葉すら発しない場面もこの頃には多々あった。

 

 夏の夜中、外の空気を入れる為にベランダの戸を開け、網戸だけを閉めて寝る様にしていた。
 するとある日の明け方、何やらベランダ側の外が騒がしくて目を覚ます。
 外はまだ薄暗く、朝の4時頃だったと思う。
 ベランダには割田さんが居て、網戸越しで必死に僕を呼んでいる。

 僕は笑いながら、
「この時間は勘弁してくれよぉ」
 と声をかける。
それでも割田さんは必死にご飯をねだっていて、網戸に頭を押し付けながら「ぁぅ…ぅ」と言って、家の中の僕のもとへ来ようとしていた。

 この割田さんに関しては、猫がよくやりがちな網戸への爪研ぎや登るなどの行為は全くやらず、いつも網戸に頭を押し付けてくるだけだった。

 毎日ではないのだが、割田さんの深夜の訪問は夏の間繰り返される。

僕は割田さんに、
「深夜に騒いじゃダメだよ」
とか
「この時間は勘弁して」
 等と話しかけたりはしたが、こんなにも僕を求めて鳴き叫んでくれていることが嬉しかった。

 そして、たまにベランダに来ない日は心配していた程で、実は割田さんの深夜の訪問も僕には満更ではなかった。

 

暗い気持ち

 やはり人は孤立して、誰とも接しなくなってはいけないのだと思う。

 そうなることで、思想は悪い方向に流れていくし、そのことで悪循環にも向かっていく。

 この時期の僕は、正にその通りだった。

 

 むしゃくしゃして、何度もゲームセンターやパチンコ等で度が過ぎた無駄使いを繰り返す。

 それで財布の中のお金を使い果たすことは多く、そのせいで何も食べられない日を何日も続けたり。

 自分が愚かな事をしているとも、充分自覚していた。

 こんな馬鹿な事で、何かを発散できる訳でもないのに、こうしないと苛立ちが募っていく。

 結局、何をしてもイライラばかりしていて、課題の為に絵を描き始めれば、その苛立ちがより高まっていく。

 それなのに、自分が一番やらなければならないことは、この絵を描く行為なのだ。


 ある日も、画材を買うつもりで遠出しながら、持っているお金を全てパチンコ等の遊びに使った。
 本来なら電車で帰るところを、わざわざ何時間もかけて歩いて帰った。
 手元にあるこの数百円で、あと数週間をどう乗りきろうか…。
 いつも最終的には、母に頼んだり嘘の理由等を説明してお金を送ってもらうことになる。
 その度に、自分はどうしようもない馬鹿だと思う。
 しかも、僕はそれを何度も繰り返し、その度に、自分の馬鹿な行為に呆れる。


 こういう暗い考えと悪循環を巡っていた頃に、仔猫の割田さんは現れた。

 割田さん側にしてみれば、僕などはご飯をねだる対象でしかないのだけど。
 僕にとっては、気分転換の機会を数え切れないほど与えてもらった。

 割田さんと接している時だけは、暗い考えも少しは薄らいでいた。
 夏の深夜に訪問された時だけは、る悪夢は見ていなかったと思う。

 ゲームやパチンコ等、お金の無駄遣いに走った時・走りそうな時、猫の割田さんにあげるご飯のことを考えると、歯止めが効いていた。

 歯止めが効かないような時でも、行き過ぎる処までは行かなかった様にも思っている。

 

割田さんと近所の人達

 元気な仔猫の割田さんは、近所の人達からも可愛がられていた。

 近所のみんなが「可愛い」と言って足を止め、頭を撫でる。

 割田さんにご飯をあげるのは僕だけではなくて、僕のアパートの人達は、いつも誰かしら割田さんにご飯をあげていた。

 それでも、割田さんが一番懐いたのは僕だった。

 近所の人達に遊んで貰っていても、僕を見かければ必ず僕の元に直ぐ駆け付けた。
 その行動から、
「この子は本当にあのお兄さんが好きなんだねぇ」
 等とよく言われていた。

 割田さんとは、遊びご飯をくれる人は何人もいるのに、なぜ僕を好いてくれるのだろう?

 昔に多くの野良猫と接してきたから、撫で方や、はなしかける行為などで、何か違いを感じているのだろうか?などと、考えたりもした。


 何かの本で読んだ話。
 猫は大人になっていても、飼い主に懐いて甘える心理は、母親に対する気持ちそのものらしい。

 そうだとすると、昔飼っていた猫(ドルチェノフ)や今ここにいる割田さんも、僕を母親だと思って甘えているのだろう。

 中学生の頃は、猫を抱っこした時にやる足のフミフミの意味を知らずに不思議に思っていた。
 でも、この頃には割田さんもやってくるフミフミの意味は知っている。

 仔猫がお母さんの乳を飲みながら、本能的におっぱいをモミモミする。
 猫たちは、それを大人になっても甘えているときにやってしまう。

 やはり、割田さんも僕をお母さんの様に信頼して接してきているのだろう。
 それにしては、僕はダメなお母さんだと思う。

 割田さんにいつもご飯をあげていながら、責任をもって飼うことすら出来ていない。
 たまたま近所の人も割田さんを好いていて、みんなで可愛がっている。
 だから、割田さんのことで近所の人とトラブルになることはなかった。

 しかし、本来ならこの子の面倒は責任持ってみるべきだという自覚はあった。
 いつかはペットを飼える住まいへ引っ越しして、割田さんの面倒をみようと何度も妄想した。

 でも、それは妄想だけのものだった。
一年先の自分を考えると、そんないつかなど来ないことも想像できていた。

 なぜ、そんないつかなど来ないのか。
簡単に言ってしまえば、僕がしっかりしていないからだろう。

 元気一杯の割田さんを前にすると、
『割田さんの為にも、もう少ししっかりしなきゃないけない』
 と考えさせられた。

 何度か、そんな割田さんをモデルに絵を描こうと思った。
 でも、いま僕の置かれている状況からは、割田さんの事を絵にしてやることは出来ないとも考えていた。


 学校課題では、毎回繰り返し「自由」という言葉をかけられるが、実際には自由等与えてはくれない。
 以前に『動物画』の課題で、昔飼っていたドルチェノフ(猫)の絵を描こうとした時も、大きな画面でそれなりに大きい動物を大きく描かなければいけないと注意を受けた。
 しかし、僕は姿かたちだけを持って彼(ドルチェノフ)を描きたい訳じゃない。
 描く段取りも、実際にモチーフやモデルを写生して、それを元に描かなければならないという。

 そういった課題を制作する上での決まりごとを守っていると、本来僕が描きたいものとは違ったものになっていく。

 学校の課題から離れて描こう、という考えもあったりはした。
 でも、この時の僕は他校の美大・芸大の受験を決めていた。
 自分の未来の可能性を切り開くために、今は受験用の腕を磨かなければならない。


 僕は割田さんに対して、時々こう話す。
「割田、いつになるかはわからないけど、きっといつかはお前の絵を描くからね。」

 割田さん側にしてみれば、僕がどんな内容の話をしているのかなど、わかる筈もない。
それでも僕は何度も語りかけていたし、割田さんは、僕の話しかけに対して、いつも喉をゴロゴロと鳴らして聞いてくれている。


 残念ながら、大学在学中に割田さんの絵を描くことは無かった。

 大学を卒業した以降も、割田さんの事を忘れることは無かったが、『いつかは…』と思い続けた。
 割田さんと接してから10年程経って、一度彼の事を描いたこともあった。
 描きながら、随分と腕が落ちたものだと気落ちもした。

 でも、割田さんのことを描きたいという気持ちは、今も心の中に燻っている。
 そして、僕は今でも割田さんのことは好きでいるし、これから先も彼の事を忘れないと思う。


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日本画『夜桜』

 

余談

 麻薬の統計的な話で。

 アメリカの兵士が戦前で戦う時に、麻薬を使うという話を、学生を卒業した以降、何かの本で読んだ。

 その麻薬を使った兵士が、戦地から自宅へ帰ってきた以降。

 麻薬に依存する者と依存しない者に分かれる。

 その麻薬に依存するかどうかの統計として、家庭や交友関係が上手くいっている者程、麻薬への依存は少ない。

 逆に、家庭や交友関係等が上手くいっていない者程、麻薬に依存していく傾向にある、という。

 それだけ、人と人の関わりというのは、心や身体やその後の人生に、大きな影響を与える。

 人の心というものを考えるなら、僕の様に、人は他人との関わりを絶とうとしてはいけないのかもしれない。

 僕自身もそういう選択を選んできたし、一部の教員や同級生達も、僕を孤立させるように仕向けてきた経緯もある。

 そういう行為が、どれだけ個人の心を痛め付けて苦しませ、悪循環を作っていくかなど、そうなった者にしか解らないのだと思う。

 ここで僕が、どれだけ当時のことを書き綴っても、そういう経験をしてきた者でなければ、そういう者の気持ちなんかも伝えられないのだろう。

 

 そういう意味合いからも、この割田さんという仔猫の存在は、僕の救いになっていた。