絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

S助教授との話し合いと約束 No.74

 今回も、細かな話を長々と書いていく。

 アメーバブログでこの記事を書いた時は、思い出すのに結構な時間を書けたし、後から思い出したこともあったりで、修正も何度かした。

 読み返してみて、もっと少ない文章にまとめられる部分は多いのだが。

 これから先の展開を考えると、まとめたり省いたりするには悩む要素ばかり多い。

 結果として、省いた部分もあるけれど、アメーバブログの時に書いた話の多くは、ここでも残すことにした。

 

 

繰り返し求める話し合い

 裸婦の課題を完成させ、I先生とS先生との会話を求める。

 でもその前に、僕は大学事務へ行って、第三者を挟んだ話し合いを求める意思を伝えていた。

 

 ここでも昔から治らない、まわりくどい考えと行動の話になるのだが。

 僕自身は、当事者間で話し合って解決することを望んでいる。

 I先生とS先生の件や同級生の件も、当事者で直接の話し合いをして、それで話がまとまるのが望ましい。

 しかし、これ迄のやり取りから考えても、一度としてそれがうまくいったことはなく、今回も誰もが、その場逃れの屁理屈で話を締め括ろうとするだろう。

 だから、今回もI先生やS先生がそういう行動に出るならば、大学事務が動き出すという状況を用意した。

 そんなことをせず、最初から大学事務に動いて貰う方が適切であることも、僕は理屈上は判っている。

 そうすることで、日本画教員達は痛い思いをしながら、僕の件は危機感を以て対応されるだろう。

 それでも僕は、この件を内輪の範囲で話し合って解決し、大学事務や他の科の教員・生徒達達に知らしめたり、誰かが恥や罰を受ける状況を極力回避しようとする。

 そうすることこそ、和解した以降の関係にはよいと考えていた。

 そして、いつまでも『絵を描く者どうしなのだから、必ずどこかで解り合える筈だ』と自分に言い聞かせていた。

 

 裸婦の課題の講評会の直後、僕は一度「話にならない」と言って、話し合いを打ち切ったけれど、研究室で再度の話し合いを求める。

 僕の求めは、I先生とS先生と僕との3人以上(他の教員が増えて混ざってもよい)での話し合いだったのだが、I先生は大学自体に居ないとのことで、やはりS先生と僕だけの話し合いとなった。

 S先生は、僕が前回から大学事務に話を持ち出していることに危機感を感じていたらしく、この時ばかりは研究室のなかや廊下ではなく、日本画校舎内にあるS先生のアトリエでの話し合いとなった。

 大学事務云々の説明をした上で、まず最初には『裸婦の課題』について話し合いを求めた。

 S先生の前に、一旦返却され、手直しをした『裸婦の日本画制作』の課題を出す。

S先生
「これは前回提出してもらった時と違う。あの時はこんなに描いてなかった。」

「だから、講評会の時に途中だと言ったじゃないですか。」
S先生
「いいや、あの時にお前はこれで完成だと言ったんだ。
それでその後、すぐに提出もしてきただろ。
だから、あんな中途半端なものを出されてこっちも困ると、先生方みんなで言っていたんだ。」

「いいえ、僕は完成だとは言っていませんし、あの後にS先生が置いていけと言ったので預けましたが、採点の為に提出をした訳ではありません。」
S先生
「いや、でももう採点はしてある。」

「それもおかしいじゃないですか。

提出期限前に講評会を挟むのは、講評会で先生方の話を聞いた上で、手を加える余地を作ってるからですよね?

今回に限って、何で僕だけがそういう時間もなく採点されてしまうのですか?

ここから既に、嘘をついてるじゃないですか。

僕はこれまでずっと「解らない」という言葉を選んで使ってますが、僕が学んできたことや認識と違っていたり、言っていることが間違っているのではないか、とも言っているんです。

僕はいつも「解らない」と言っているのに、S先生は「解らなくてもいいから、黙ってやれ」「講評会で説明する」と言っているんです。

だから僕は、今回もS先生の命令に従ってこの絵を描いたのに、「こんな絵を描くなら、大学は辞めた方がいい」「何で解らないんだ」と言って、説明もなく怒鳴り付けてくる批評の仕方に納得できません。」
S先生
「あの時にその言葉を言ったのは俺じゃない。」

「俺じゃないと言っても、その後に「俺たちの言っていることわかるだろ?」と、S先生自身が賛同した発言してたじゃないですか。

S先生が言った言葉じゃないから話を進められないというなら、やはりI先生や他の先生もいる時に、大学事務を挟んで話し合いをしましょう。

最初に僕が話したのは、そういう話なんですよ。

もう、2人だけで話しするのは止めて、大学事務に動いて貰いましょうか?」
S先生
「責任のとれない発言して悪い。
でも、具体的に正しかったとか間違っていたとかの話は別として、あの時に高木の為を思って言ったという気持ちは嘘じゃなかったんだ。」

「今すぐ大学を止めろと言ってきたことに関しては、どう僕の為になると考えるのですか?

僕自身、I先生とS先生の批評に呆れて、途中で講評会から帰ったじゃないですか。

僕が講評会から去っていく時も、S先生は生徒達と一緒にわらっていたじゃないですか。

今のその話も、嘘にしか聞こえません。」
S先生
「いや、嘘じゃない。

結果として、説明が不足して適切な発言ではなかったけれど、あの時は、それが一番適切な言葉だと思ったんだ。」


「S先生は前回、先生方の言うことが違うと思うなら、そう書いてある本を持ってこいって言ってましたよね?
今回は具体的に色々持ってきましたよ。」

 この時、カバンの中には入る限りの本を入れてきた。

 美術館の図録や美術史の本や日本画の技法書や、それまで日本画教員たちが僕に掛けてきた言葉や状況を書き綴ったノート等。

 僕のなかでは、それでも持ってくるべき本は不足していた。

 その中から、僕はこの大学の講義要綱を出し、素描(デッサン)の授業のページを開いて見せる。

 

 講義要綱というのは、大学で行っている授業の内容を、それぞれの授業毎に解説している本だ。

 生徒は年度の始まりに、この講義要綱を見ながら、単位取得の為、受ける授業や講義の選択や申請を行う。

 

 僕が開いた素描(デッサン)の授業内容については、こう書かれている。

『素描=デッサン
このことを踏まえて、素描を描きなさい』

 この講義要綱に書かれている素描の授業内容は、この一文のみだった。

 別の授業の内容を探しても、デッサンや素描に関して細かく説明されているものはない。

 元々、デッサンというのは西洋絵画にあったもので、近代になってから日本画に取り入れたものだ。
 それを日本画では、素描という言葉に置き換えている。

 講義要綱を事前に読んだ僕の『素描の授業』への解釈としては、『素描=デッサン』と書いているので、I先生やS先生の言うような「日本画に適したデッサン」といったものではなく、絵画や彫刻やデザインの分野で基礎として考えるデッサンをデッサンを考えていた。

しかし、この講義要綱にも触れていない内容で、何の説明もないまま僕は怒鳴られ「それはこの課題でやってはダメなんだ」という。

 黒いデッサンはダメ、濃い鉛筆の使用はダメ、計るのはダメ、形を捉えるような描き方はダメ…等々。
 洋画や彫刻やデザインの人達であれば、僕のやろうとしていることは当たり前に理解できる事なのに、日本画では説明もないまま「ダメ」と切り捨てられる。

 その部分の説明については、この大学内の印刷物には何処にもない。

 教員達から、口頭で説明を受けた場面もない。

 この大学で、日本画教育に限って行われている特殊なデッサンについて、説明もなく怒鳴り付けて「常識で考えれば解る」と言うばかりの指導。

 僕は、デッサンの基礎は把握しているが、I先生やS先生の語る「日本画に適したデッサン」や「常識」と語るものは何一つ理解できない。

 同級生達の描く絵やデッサンも、I先生やS先生の目の色を伺い、指導を解っているつもりで描いているだけではないか。

 同級生達は、本当は基礎の部分から把握していなくて、 I先生やS先生が間違ったことを教えていても、その教えが適切な言葉なのか、間違っているのか正しいことなのか、それを考える力すら持ってないだけではないか。

 教員達は、僕がいつも人の話を聞かないとばかり言っているが、僕は教員達の指導や発言等をノートに書きとり、それを後になって何度も読み返してもいる。

(2年生の途中からは、ノートに書き取る等の行為は止めてしまったが)

 生徒である僕は、過去から今現在にかけて、S先生がどのような発言をしてきたかを考慮しながら会話をしている。

 しかし、S先生等は「後で説明する」と言って説明を逃げながら、後になると「今頃になってから、あの時にこんなことを言っていた、等と言われても困る」「何でその時に質問をしなかったんだ」と言ってしまう。

 僕はこの大学へ入学したその月から、「日本画の影」についての質問を延々と繰り返してきたけれど、今現在までその質問をはぐらかし、「今は解らなくても、何十年後かには解るかもしれない」と言ってみたり。

 近頃は「解らないことがあっても、聞きに来るな」と怒鳴り付けてくる。

 結局、僕が真面目に質問をしても、S先生はまともに取り合ったことが1度もない。

 今現在のS先生の返答も、そういうこととしか考えられない。

 僕の考え方が間違っているなら、きちんと間違っていることを説明する努力をするべきではないか。

 僕の側は、S先生が呆れてしまうほど、何度も繰り返し質問し、後でノートに書き取っている程なのだから、これを「人の話を聞かない」「何を言ってもムダ」と解釈するのは、S先生側の根拠のない決めつけではないか。

 時々、S先生は僕に対して、
「上手く描けないのを俺たちのせいにするな」
等とも言ってくるが、デッサンに限らず、僕が上手く描けないのは教員達の指導上の不備によるものばかりで、僕の腕の問題ではないと思っている。

 最低限、他の生徒と同じ情報と同じ条件で課題を制作できるに環境さえあれば、僕はそれなりのものを描いて見せる自信はある。

 でも現状では、その環境を与えられてはいない。

 

 僕の話に対して、S先生は黙り込んでいる。

 僕は時々、S先生に対して、

「僕の言っていることの何かが間違っていますか?」

「どこかにひとつでも、僕の言い分に疑わしい処があるなら、そのことについてしっかり話しましょう。」

 と問う。

 しかし、S先生は僕の話に反論できず、 僕側は、まだまだ議論したい話はあるのだが、S先生は黙るばかりで、会話になっていないことに困っていた。

 

 暫くの沈黙の後。

S先生
「最近色々と腹の立つことがあって、それであんな言い方をしてしまった…」

 その腹が立つことの具体的な話は、この年に出来た洋画の校舎の話だった。
 その新しい校舎の建設途中の時には、日本画教員たちにもアトリエとして教室を分け与えて貰える約束をしていた。
 しかし、その校舎が完成するとその話は全て無くなり、日本画教員たちのアトリエとしての教室も、それまで通り日本画の校舎内だけとなっていた。
 それで腹を立てていた、という説明をしてくる。
 そして、これまでの僕への指導に関しては、説明が不足していたことを認め、これからの指導ではきちんと説明をしていく。
 これまでに不足していた内容に関しても、これからの指導できちんと準備して説明していくことを約束する。

「これで、この問題は全部終わりでいいだろ?」
とS先生は言ってくる。

 この説明でも、僕は納得しなかった。

 S先生はこれ迄に何度も、僕への指導のあり方を今回こそ本当に改めると語り、一度も改めてこなかった。

 だから、今回も適当な事を言って誤魔化し、この場をやり過ごすだろう。

 それでも、『絵を描く者どうしなのだから、いつかは解り合える筈だ』と考える僕は、解り合う過程で、この嘘ばかりのS先生をも信じたり妥協しなければならないと考える。

 

 そう考える上で、今後のことについて切り出す。

 I先生を含めて、もう一度話し合いをしない限りは、終わりには出来ない。

 でも教員達で、僕へ教えるべきこと(課題の出題内容や意図やルールなど)をきちんと教えてくれたなら、そのことを以てこの件は終わりでも構わない。

 I先生との話し合いをしたとしても、教員達が僕へ教えるべきことを教えるという行為は、必ずやって貰う方向で話を収束させるつもりでいる。

 S先生は、僕のこの話に従う約束をした。

 これ迄に、僕への説明が不足していたことは全て説明し、僕が繰り返してきた質問についてもきちんと説明する。

 これからは、僕に対しての乱暴な発言はしないし、生徒間の関係の修復についても努力する。

 僕は、生徒間の関係に関しては、S先生が何かをするとロクなことにならない。余計なことをして欲しくないと伝えていた。

 しかし、S先生は教員としての立場上、この状況を無視できないので、僕の意思とは関係なく、必ずよい方向へ向かうように善処する。

 こういう内容で僕とS先生は、話し合いと約束を交わしていた。