絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

絵とモラル No.67

先に結論を

 S先生から『絵を描くのに、モラルなんか関係ない』という言葉をかけられて、当時の僕は、日本画画家の安田靫彦のことを頭に浮かべた。

 安田靫彦の話の前に、今回の話の結論を書いておくと。

 僕個人は、絵とモラルは関係あることを信じている、となる。

 でも、関係のない人にとっては、関係ないのだと思う。

 この後は、絵のうんちくばかりの話になるし、読み飛ばしても、この後の話に関係はないことを伝えておく。

 

安田靫彦(やすだゆきひこ)

 この頃の僕は、安田靫彦の絵を見ても難しいイメージばかり持っていて、よくわからないという感想が先行していた。

 安田靫彦は歴史画を多く描いていて、僕の教養の無さも手伝って、そういうイメージだった。

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安田靫彦日蝕

Modern art bot on Twitter: "安田靫彦:日食 (1925) 東京国立近代美術館 https://t.co/JdQNYWFgCi… "

 でも、幾つかの本のなかで、安田靫彦の語った言葉が幾つも出てくることで、その存在に興味は持っていった。

 そうして、色々と本を読んでいく過程で、安田靫彦の絵も繰返し見ていくことになり、不思議というか自然にというか…安田靫彦の絵は面白く見えるようになっていった。

 

 安田靫彦の本名は安田新三郎。

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安田靫彦 - Wikipedia

 生きていた時代は、 1884年明治17年)~1978年(昭和53年)。

 安田靫彦は、前田青邨と並ぶ歴史画の大家である。

 僕自身、安田靫彦のことを詳しく知る者でもなくて、これからの話も、むかしに読んだ本の記憶でもある。

 もっと正確に詳しく知りたい人は、ネット検索等して欲しい。

 

 ここからは、ある本の話。

 その本は、↓これだと思うのだけど…自信はないなぁ…

安田靫彦 (1975年)

安田靫彦 (1975年)

  • 作者:安田 靫彦
  • 出版社/メーカー: 三彩社
  • 発売日: 1975
  • メディア:
 

 安田靫彦は、元々病弱な人だったそうで、生きていく過程でも画業でも、苦労する場面は多かったようだ。

 若い頃、そんな安田靫彦を支える年上の女性で『お葉』という人物がいた。

 安田靫彦にとっても、お葉にとっても、お互いは大切な存在であった。

 いつの日か、安田靫彦の画業が軌道に乗っていった頃、あるお節介を受ける。

 お葉が所用で少し出掛けた時、そのお節介者は安田靫彦へ、お葉との縁を切ったらどうかという話を切り出す。

 というのも、お葉は安田靫彦以外の男性と肉体関係を持っているのだと伝えてくる。

 でも安田靫彦にとっては、そんなことはどうでも良かった。

 安田靫彦は病弱な身体から、お葉を慰めることは出来ずにいた。

 それでも、お葉が自分の処に帰ってきてさえすれば、それで良いと考えていた。

 だが、そのお節介者の言葉に耳を傾けたその日から、お葉は帰ってこなくなる。

 それから、お葉の噂は時折流れては来ても、再開することはできず。

 十年以上の月日を経て、お葉は心中の水死体としてあがる。

 安田靫彦はそこへ駆け付けることで、最後の再会を果たし、本の物語は終える。

 

 こんな話を読んで。

 安田靫彦という歴史画の大家と言われている人物で、難しいイメージの人でも、思考的には全く理解できない存在ではないのだな、等と僕は考えたりした。

 

 この安田靫彦は、東京芸大の教授をしていた時期もある。

 その当時の生徒だった平山郁夫の思出話を、↓下の本で少し書かれている。

 僕がこの本を読んだ時期は、この出版日より5年前後前であって、当時の僕を知る人は、少し矛盾して見えているかもしれない。

 でもそれは、この本は再版されたもので、この様な日付なのである。

巨匠の日本画 (7) 安田 靫彦

巨匠の日本画 (7) 安田 靫彦

 

 本のなか、平山郁夫の思い出の話で。

 『講評会の場で絵を見て貰っている時、安田靫彦先生は「前回や前々回はああいう絵を描いて、今回はこういう絵を描いたのだね」等と語られたりもする。

 こちらとしては、過去の不出来な絵であっても、安田靫彦先生は生徒の描いた絵をしっかりと覚えていた。

 その上で、真摯に絵の指導を行ってくれる先生であった。』

 僕がこういう話を読んでいて、僕が学んでいる環境と違うなぁと思ってしまう。

 僕等は、戦前の日本画のようなものを学びたく、そういう絵を模索して描こうとしていた存在ではある。

 それでも、大学の教員達の描かせたい絵が明確にある為、半々の割合で、教員達の考えに合わせた絵を描いていた。

 そうであっても「お前はいつも、こういう絵しか描かない」と叱られ、制作の方向転換ややり直しを強要される。

 時代・世代の違いや、あちらは東京芸大という有名一流大学に対し、こちらは三流の美大、そういうこともあってのことかもしれない。

 そういう考え方はしていながらも、この大学で教えている日本画と、戦前の日本画や僕の学ぼうとしている日本画は、また別の世界観をもった別物の様にも思えていた。

 

絵とモラル

 この話の当時、僕は古川美術館という名古屋市千種区にある美術館へ、よく足を運んでいた。

 まず、その美術館で『師と弟子展』という企画展があり、その展示が好評であった為、美術雑誌にも展示内容を掲載されていた。

 その企画展を企画した若林さんという女性の学芸員さんを、僕は慕い、日本画の話を色々と聞かせて貰っていた。

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 前振りが随分と長くなったけれど、そういう経緯から知った話。

 安田靫彦の弟子に片岡珠子という人物がいて、後々には、かなりの有名な日本画画家となる。

 その片岡珠子が、まだ画業がうまく行かず、寝食を疎かにして絵に打ち込んでいた頃。

 安田靫彦は、片岡珠子にこんな言葉をかけている。

 『絵というのは、普段の何気ない習慣や考えが、意図せずあらわれてしまう。

 だから良い絵を描くためには、普段の生活からきちんとしなければいけない。』

 この話を、綺麗事とか建前とか、そういう意味のない言葉として片付ける考え方もあるだろう。

 それでも、S先生が僕へ語った「芸術の世界は汚い世界なんだ」「絵を描くのに、モラルは関係ない」といった言葉の数々と、安田靫彦について残された話や言葉とが、同じ絵画の世界観を持ったものとは考えられないでいる。

 

 当時の僕は、こういう考え方をし手しまうから、愚かで世間知らずなのだと、自分を責めることもあった。

 そう責めても、僕のこういう考え方は、変わることはなかった。