絵と猫とぐだぐだ ~髙木元就

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

盗難とその後1 No.50

 動物画の後の課題は、自由課題、植物画、自由課題、そんな風に続いたと思う。

 もう昔の話であることと、課題への制作に集中できなかったことで、記憶も曖昧なことが多い。

 だから、順番等は間違っている可能性もある。

 アメーバブログで書いていた時は、断片的にしか思い出せないことが多く、ここで書いている話の幾つかは省いると思う。

 それから、これから書いていく話も、僕の文章能力の問題から、この後の話と重複してしまう部分は出来てしまうだろう。

 

自由課題での模写

 動物画の課題の最後の辺りで多くの画材を紛失したことで、そこからの課題にもその影響は受けてしまう。

 動物画の後の自由課題では、水墨淡彩という感じのものをやっていたと思う。

 墨を中心に絵を構成していて、色(絵具)の使う量も少なく済ませようとしていた。

 ただ、盗難に会わなくても、こういう絵はいつかはやろうと考えていたもので、良い機会かもしれないという考えもあった。

 当時の僕は、竹内栖鳳に強く興味を持っていて、竹内栖鳳や円山派という日本画の流派に関連した絵や本を読んでいて、その影響によるものでもある。

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竹内栖鳳《羅馬之図》(左隻)

明治36年(1903)f:id:motonari1:20191217090133j:image

竹内栖鳳《羅馬之図》(右隻)

明治36年(1903)

竹内栖鳳|広島 海の見える杜美術館公式HP

 この時に限らずいつものことなのだが、この絵も不評で、僕だけが批判ばかり受けていて、他の生徒でこんな風当たりキツいの批評を受ける者は見たことがない。

 1年生の最初の課題の講評会から、こんな流れは出来ていて、それをいつも同級生達も面白がって見ては馬鹿にして笑っているはが、僕にとっては、自分の為の勉強を進めていく覚悟を持ってやっていることだった。

 

 初めての試みで上手くいかなかったこともあるけれど、僕の興味を持ったことは全部否定されている様な気がしている。

 『(絵具を)盛り上げや厚塗りしていないからダメ』

『これは手抜きの絵で、わざわざ大学の課題でやるものではない。』

『みんなと違う絵を描こうとしているからダメ』

 そんな批判や指摘なんかを、この課題やそれ以降の課題でも頻繁に言われていく。

 時折は『こんな批判や否定の指導ばかりで、質の高いものが描けるかよ』という気持ちでふて腐れてはいたが、それでも頑張らない訳にはいかなかった。

 この時の講評会では、4年生の担当教員であるK先生(男子)がたまたま出席していて、こんな言葉をかけられる。

『古い絵を真似して、こういう中途半端な絵を描くくらいなら、真似じゃなくて、模写をやった方が良かった。』

 僕のなかでは、課題のなかで模写をやってはいけないと考えていた為、「模写を課題でやってもいいのですか?」という質問をする。

 K先生(男子)は「誰もやっちゃダメだなんて言っていないし、生徒がやろうとしていることに、我々教員はダメとも言わない。」という返答を貰う。

 その言葉を切っ掛けに、この後の植物画の課題を挟んだ後の自由課題で、竹内栖鳳の『蹴合い』の模写を行うことにした。

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竹内栖鳳『蹴合い』

#824 竹内栖鳳 絵画作品集 - NAVER まとめ

 この時の自由課題では、50号というサイズの指定はあった為、画集で見る小さな絵を見ながら、指定のサイズに大きく描くことになる。

 小下図でも、K先生(男子)に許可を貰っていたと思う。

 そこから、本画制作の途中経過を見せる為、その絵を研究室へ持ち運んだときに、S先生から「摸写はダメ」「課題以外でなら好きなだけやれ」といって、小下図相談からのやり直しを強要される。

 その後、僕がどんな絵を描いたかは思い出せずにいるけれど、提出期限に完成は間に合わず、提出できないとふて腐れたことは覚えている。

 

植物画の制作

 植物画に関しても、やはりS先生とI先生とで、批判や否定から始まり、制作の方向転換ややり直しといった指示は出てくる。

 この課題では、黒地に金だけで絵を構成しようと考える。

 参考にした作品もあるのだけれど、何という画家の絵だったも思い出せず、ネット検索をしても、それらしい絵を見付けることは出来なかった。

 黒地に金だけで絵を描くという試みは、やってみると非常に難しく、絵がまとめられずに困っていた。

 そのうまくいかない過程を仕方なくS先生とI先生に見せるのだが、手抜きをしているとか、上手くいかない絵を見せるくらいなら、最初からこういう絵を描こうとするな、という責められばかり受ける。

 そういうやり取りから、僕は余計に制作に悩み、提出期限までに絵を仕上げることは出来なくなった。

 S先生から厳しく言われていたことで、提出期限を1日でも過ぎれば、もうその課題は受け取らないということで、この課題も完成までの制作や提出を諦めてしまう。

 

教員達の描かせようとする絵

 2年次の幾つかの課題によって、僕が古い日本画を学びたい意思があり、そちらの方向へ進もうとしている傾向があることは、2年生の担当教員であるS先生は認識していた。

 その過程ややり取りのなかで、僕もS先生の考え方は知っていく。

これは僕なりの言葉での説明なのだけど~

 S先生の考えのなかでは、古い戦前の日本画はイラストの様なもので、大学で学ぼうとする価値のあるものではないと語っていた。

 そして、S先生の指示としては、教員達の指示している日本画(戦後の西洋文化を取り入れた新しい日本画)を日本画の基礎として、大学の4年間でやるべきである。

 大学は基礎を学び実践する処であり、生徒の描きたいと思っている絵を描いて良い場所ではない。

 僕の興味を持っている戦前の日本画の様なものは、興味があれば、課題の合間や自宅での僅かな時間で個人的にやることであり、大学の課題内でやることではない。

 そんなものを、僕は上手くいかないと悩みながら頑張っているようだけど、他の生徒なら誰でも簡単に、僕以上のものを作っていくだろう。

 しかし、教員達の指示している日本画(戦後の西洋絵画を取り入れた新しい日本画)は、そんな簡単にやれるものではない。

 そんな説明を、僕はS先生から何度も聞かされてうんざりしていた。

 そのS先生の考え方は、S先生なりの考え方であって、大学で日本画を教える歴史的経緯を知れば知るほど、僕の違和感は大きくなる。

 それ以前に、1年次で絵を指導していたK先生(女子)の考え方からは、S先生の考えは大きく外れたものである。

 古い日本画の技術的なものを基礎として学び、その上で、自由に描いて良い時には自由に描いたら良いと言っていた。

 S先生はK先生(女子)の考え方の違いは、S先生自身も自覚している。

 それでいて、いつもK先生(女子)の発言する食い違った言葉の数々に、その場では言葉尻を合わせをする。

 K先生(女子)側はその自覚はないのか、『(教員間で)違っていることを言っている様に聞こえるかもしれませんが、実は同じことを言っているのですよ。』と語る。

 S先生もこの矛盾に自覚があるからこそ、K先生(女子)のいないこの場では、S先生なりの考え方を強く強要してくる。

 僕以外の生徒達に関しては、そんなことを認識できるほどの知識は無く、自分等で調べていくこともしておらず、教員達が与えてくる片寄った情報だけで、日本画というものの世界が完結している。

 だから『なんとなく、日本画とはこういうものなのだろう』という感じで、違和感も感じずに従う流れになっているのだ。

 

 僕がこの美術大学へ入学する前、予備校や幾つかの美大の先生達から聞いていた話のひとつ。

 今の大学での教員達は、あまり生徒の絵に口出しや「こういう絵を描け」という指示はしないという。

 具体的なことを話してはこなかったが、色んな事情や背景もあって、そういうことは出来ないのだという。

 その出来ないことの事情や背景という問題は、S先生と僕との問題に共通したものであり、S先生もI先生もA先生(女子)も、それぞれがその問題を見失ってこんな言動を繰り返しているのだ。

 この美術大学日本画の教員達も、他の大学の教員達と同様に『自由に絵を描いていい』とか『自分の好きな絵を描け』という発言はする。

 美大・芸大に関する一般的な話で、そういう言葉をかけられ始めた生徒の多くは、自分はどんな絵を描いたら良いのか悩み考え込むという。

 絵を描かない人達にとっては、この話に疑問を持つかもしれないが、自分が描きたいもの・描かなければならないものを見付けるという過程は、困る人はとても困るものである。

 そして、美大や芸大の絵画の教育のなかで、それが1番と言えるほどに大事なことでもある。

 この件に関しても、S先生とは口論となり、こういう説明を受ける。

『自由に描いていいと言っても、高木が考えているような自由なんかは、この大学の授業内にはない。

 この大学には、何人も色んな絵を描く先生がいて、そのなかから好きな絵を描く先生の考え方を選び、その先生の考え方に合わせた絵を描かなければならない。

 だから、どの先生の絵を好きになるかはその生徒の自由であって、その範囲内でしか選択肢はない。

 好きな絵を描く先生に習って絵を描き、その先生に気に入られるように努力することで、その先生はその先生により深いことを教えてくれる。

 この大学でいう自由というのは、こういうことだ。』

 この話に合わせて、A先生(女子)もこういう説明をしていた。

『大学で、生徒が描く絵の描き方や方向性は、殆どが決まっている。

 みんなが同じ考えてで同じものを描いているけれど、見る角度が違っていたり、描くときの気分や気持ちが違ったりしていることで、みんな違った絵を描いている。

 そのなかには、同じ絵は一枚だってない。

 この大学でいう自由というのは、そういうことなんだよ。(だから、高木のこの考え方は間違っている)』

 その説明に対しては、本当はS先生もI先生(女子)も僕の認識が正しいと解っていて、それでも、S先生やI先生(女子)の指導上の都合を僕に押し付ける意味合いで、嘘をついて押しきろうとしているのだと考えている。

 僕の考え方の偏りなのかもしれないが、そんな考え方しか出来ないでいる。

 最初から嘘をついて、そこから派生する矛盾に嘘の上塗りを続けて、都合の悪い状況になっているから、僕だけにこんな風当たりの強い批判や否定で排除をしているのではないか。

 

 2年次の後半から、公募展への出品を希望する生徒に対して、大学の教員達はその支援をしている。

 大学の教員の殆どは日展の会員でもあり、毎年、地元の新聞で日展の入選◯人といった記事で、大学の教員達の指導力のアピールも行っていた。

 僕自身も、その公募展への出品に対しては、1年次から強く希望することを語っていた。

 そういう背景もあって、教員や同級生達と険悪な関係になっている僕を、その活動から排除するという意味合いも、S先生とI先生とA先生(女子)の言動にはあったのではないか。

 これ等の問題に対して、僕は当時から、こんな風に考えている。

 あれから20年前後の時間が進んで、日展改組が行われた。

 日展改組は、書の部門の不正問題を切っ掛けとして語られているけれど。

 ピラミッド型の組織形態を改めたという世間への報告と、僕が大学の日展会員でもある教員達と理不尽な内容で揉めてきた過去について、根底の部分からは無関係だとは考えられずにいる。

 

 一応で、繰り返しいっておくけれど、この話は、改組前の日展会員である教員達との話であって、今の日展についての話ではない。