絵と猫とぐだぐだ

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

本から絵を学ぶ1・大学で学ぶ姿勢 No.38

 画学生時代には、いつも絵に関係する本を読む様に心掛けていた。

 

 僕はもともと、ゆっくりと読書をするタイプの人間ではなかった。

 それでも、美術大学では必死になって絵を学ぼうと決心していて、その決心の具体的な行動のひとつとして、毎日必ず本を読む習慣を持った。

 最初は日本画の画集や技法書や材料科学という類いのものから始めた。

 どんな本が自分のためになるのもかわからず、日本画関係の本を見かけたら、取り敢えずは手に取るようにした。

 

美大への入学当初

 美術大学の授業が始まった最初の頃、美術大学側で配られた日本画の画材のなかに「顔彩」という絵具があった。

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顔彩・鉄鉢 | 日本画材料 吉祥

 見た目からも洋画で使う水彩絵具に似ていて、陶器の小さなお皿に絵具を塗り付けてある。

 水彩絵具のチューブの形式ではない水彩絵具でも、こういう形式のものはある。
 使い方も、その水彩絵具と同じようで、水を浸けた筆で絵具を溶かしながら筆に絵具を浸けていく。

 絵具の溶き方はわかるのだけど、岩絵具や水干絵具とはどう違うものなのか。

 どういう意味合いで、どう使い分けるものなのか、よくわからない絵具だった。

 この「顔彩」も順を追って、授業のどこかで教えてもらえると思いながら、いつまで経ってもそれらしい話が出てこない。

 僕だけではなく教室の殆どの生徒が、この「顔彩」のことをわからないでいる。

 そこから、入学前からの日本画経験者だったTa等は、教室のみんなに対して顔彩のことを語る。

日本画の岩絵具や水干絵具は、塗るまでの準備で非常に手間がかかる。
ほんの少しの色を塗るだけために、それらの準備を行うのが大変だから、少しの色を塗るだけの場面では「顔彩」を使い、その手間を省いて使う。」
「俺はそう解釈している」

 この話のまま、教室のみんなはTaの解釈を基に、そういうものだと信じていく。

 しかし、僕だけはTaの「俺はそう解釈している」と付け加えているこの話を信用していなかった。

 K先生(女子)の方針でも「日本画の技法関係は、教室の経験者話や本から学ぶよりも、教員たちの所へ聞きに来て、大学側のやり方から学ぶようにしてください」と話していた。

 K先生(女子)がその様に発言しているもので、入学当初の僕は、本などから学ばない代わりに多くの質問を持ちかけて、そのことで教員達や同級生達からも不信感を持たれ、孤立していった。

 そして、僕が日本画の技法書等を読むようになって知った「顔彩」の話からも、Taの解釈は少し違っていた。

 

 絵具の素材や分類についての話。

「顔彩」の話の前に、日本画の絵具の話から始める。

 日本画の絵具(岩絵具や水干絵具)を洋画的な理屈で話していくと、性質的には不透明水彩絵具という分類になる。

 不透明水彩絵具は、名前の通りに不透明で、下地の色をある程度隠しながら強く発色する。

 逆に、透明水彩絵具はある程度透明で、下地の色はある程度透かしながら発色する。

 「顔彩」の話に戻すと、「顔彩」は透明水彩絵具としての性質を持つ絵具だった。


 当時の僕は幾つかの本を読みながら、「顔彩」はこういうものなのか、教員たちから確認をとろうとした。

 そこで、そもそもは「顔彩」の事を聞きに行った筈なのに
「岩絵具だって薄く塗れば透明水彩になる」
「この事をどうしても知りたかったら、洋画で画材について詳しい先生を探して聞いたらいい」
などと言われる。

 こういう絵具の性質や分類などの知識も、日本画の描く側はあまり関係ないのか、教員たちもあまり理解していない事を知った。


 日本画の教員たちは、
「わからないことがあったら、何でも遠慮しないで聞きに来てください」
等とよく言っている。

 しかし、現状で多くの生徒は、大学入学前からの日本画を経験してきた生徒に教わる方向で頼る。

 実際にS先生やA先生(女子)から話を聞いても、教員側の経験や好みや関心を持っていることを生徒に押し付けていて、そうではないことは「そういうことは知らなくてもいい」等と言ってしまう。

 こういうものは、僕の入学した大学の教員特有のものだろうか?と考えたりもしたけれど。

 それから数十年経過して、インターネット上で色々と情報を収集していると、「美大時代の思い出は、教員達の奴隷の様な感じだった」等と語る人も見かける。

 そういう傾向のある世界なのかもしれない。

 

大学で学ぶ姿勢

 大学へ入学する以前、と言っても浪人生だった頃の話なのだけど。
 美大や芸大で絵を教える様式の様なものを、何度か耳にしていた。

 

 大学というのは、小学・中学・高校といった学校の様な、教わることが決まっていて、その範囲内で学ぶものと性質は違う。

 生徒側が学ぶべき方向性を考え、自主的に学んでいくし、大学の教員達もそのことへ五月蝿く言っていくものもはない。

 生徒が自分で考え、学ぶことを決めて努力していくものだから、大学では自由に思える時間も沢山ある。

 生徒が学び向かっているものに対して、大学の教員達は自身の経験や知識から、助言や意見も述べはするけれど、その程度の存在でしかない。

 武蔵野美術大学での教員達の話、として聞いた話では。

 教員達としては、生徒達には古典的な絵画を学んで欲しいと思っているが、生徒達はあまりそういう方向には向かわず。

 古典を学ぶように言いたいけれど、大学の教育としての性質からも、そういうことは殆ど言わないという。

 

 そういった話を、僕は美大へ入学する前に何度か聞いてきたのだけど、大学へ入学してみれば、話が違うのではないかと感じてしまう。

 そう思いながらも、「まだ僕は1年生で、その前に色々と学ばなければならないことがあるのだろう」等と解釈しようとする。

 それでも、僕は美大を卒業するまで、教員達の都合や絵の好みや押し付けに振り回され、その範囲でしか動けなかった。 

 いま思い返しても、教員達から押し付けられる状況に疑問を持ち、質問したり自分なりに考えて動いた分だけ、理不尽に苦しんでいく、そんな学生生活だった。