絵と猫とぐだぐだ

雑記ブログです。趣味で絵を描いています。漫画やイラストなども含めて、幅広く絵の好きな人に読んで貰いたいです。

絵の方向性1 No.30

教員達の教える絵

 美術大学の教員達とのやり取りを何ヵ月もしていると、「教員達の好む絵」も少しずつわかってくる。

 その「教員達の好む絵」の話は、今回の内容には大事なことなのだけど、語るのは少し後回しにする。

 

 大学1年生の前半は、基礎的な描写や日本画の絵具の扱い方などが授業の中心だった。

 そこで躓いた僕は、その辺りの問題解決で必死だった。

 それから、根本的な解決にもならないまま、1年生の後半では、その問題の根本的な解決を諦めてしまう。

 僕は、教員達の話はきちんと聞くし、大事そうな話はノートに書き留め、後になってそれを読み返したりもしていた。

 それでも、感じる矛盾は何も解消されず、その矛盾へは「解らない」という認識を持つように心掛けた。

 違うという認識で否定はしないし、解ったつもりで解決したとの認識もしない。

 そして、質問を持ちかけても、答えてもらえないだけではなく、その都度トラブルになって、教員・同級生達ともに関係を悪くするばかりなので、質問も持ちかけなくなっていく。

 僕にとっては、この問題への対処はこれで終わった訳ではなくて。

 意識して、大学の教員達の絵を見ようとした。

 大学内では、教員達の描いた絵は殆ど見る機会がなく、教員達の所属している公募展や図録などで確認していた。

 

 大学へ入学した当初、K先生(女子)は生徒達に対して、「日本画と一言で言っても、色んな絵があるのですよ」「教員であっても、その人によって描く絵も考えも違っているのです。だから、一人の先生の話ばかり聞くのではなくて、色んな先生の話を聞くといいですよ」等と言っていた。

 K先生(女子)自身が何度もそう言っているのに、僕が質問や絵を見てほしいと求めても、取り次いでなんか貰えない状態にあった。

 だから、直接の会話で考えを知ろうとも思わなくなっていった。

 授業内の何気ない処で、K先生(女子)は「私は、前田青邨(まえだせいそん)の絵が好きです」という発言をしていたのを聞いて、僕は前田青邨のことを知ろうとする。

 そうすることで、K先生(女子)の考えや絵の好みも解ってくるかもしれない(それだけが目的ではないけれど)。

 そうして、その前田青邨の画集を幾つかの本屋で探しまわって買い、何度も読み返したり、模写したりもした。

 ↓のAmazonのリンクで表示されている画集は、当時に買ったのと同じ本で、この「巨匠の日本画」という本のシリーズも、1年生の内に全て購入していた。

巨匠の日本画 (8) 前田青邨

巨匠の日本画 (8) 前田青邨

 

 そんな風に色んな事を知ろうと動き回り、当時感じたのは、「日本画の傾向は、戦前と戦後の辺りで別れるのだろうか?」ということだった。

 日本画の公募展で一番大きな組織は日展で、戦後の日本画から今にかけての日本画そのものである。

 僕の通う大学の日本画教員も、殆どが日展の会員だった。

 そのなかで一人、K先生(女子)だけは院展の会員であり、描く絵の感じも違っている。

 院展の話は、また改めて書き綴る場面もあるので、ここでは細かく説明はしないけれど、当時の印象としては、古典回帰を意識した絵が多いように思える。

 僕が大学で日本画を学ぼうと考えた切っ掛けは、戦前の画家である上村松園伊東深水の描く美人画の様なものを学びたかったからだ。

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【企画展】上村松園 ―美人画の精華― 〔過去に開催された展覧会〕 - 山種美術館

 そういう意味合いからも、僕は院展に強く興味を持っていたし、K先生(女子)のもつ技術にこそ、学びたいと思っているものが多くあると感じていた。

 

 ただ残念な事に、僕の描きたい絵や思い描いていた日本画は、「教員達の好む絵」や「教員達が生徒に描かせたい絵」とはかけ離れていた。

 大学の教員達は「自由」という言葉をよく使い、「好きな絵を描いていい」とか「百人いたら百通りの考え方がある」等とは言う。
 しかし、具体的に課題へ取り組む場面になると、生徒側に与えられる選択肢は限られている。

 1年生の頃は、僕もまだ察していないことだけれど、K先生(女子)の描くような絵や、上村松園伊東深水の様な絵も、S先生は認めない傾向にあった。

 そういう絵を自由課題のなかで描く際、K先生(女子)の関与があれば容認される。

 そこには教員・画家といった関係間の上下があり、S先生やA先生(女子)はK先生(女子)へ意見や考えの違いを語れない背景がある。

 そんな状況を僕が知るのは、ここからずっと先の大学3年生になってからである。

 

 僕は絵に関して、何となくで学んでいくつもりはなかった。

 逆に同級生達は、何となくで色々なことを学んでいく。

 僕と教員達とのやり取り・トラブル等も見て、よく解らないけど何となくこうなのだと学習する。
「自由に描いていいよ」
と言われても、教員達の好む描き方を無自覚のうちに選び描いてしまう。

 こんな風に考えてしまうのは、僕が洋画を学び洋画の感性を持っているからだろうか?

 僕の考え方がおかしいのだろうか?

 そんなことを、数え切れない程に繰返し考え、その度に、非があるのは教員ではなく僕側にある筈だと考えようとしていた。